連載エッセイほんの序の口32

筆圧宇田智子

筆圧

古書組合の市で、詩集の束を落札した。沖縄の詩人たちの詩集だ。
「一部書きこみあり」と注記されていたとおり、ときどき詩のタイトルに鉛筆で印がつけられている。自分はこれが好きかな、と小声でつぶやいているような、控えめな○印。なるほど、これが好きなんですねと知らない人にうなずきながら、消しゴムで消す。波打ち際のらくがきのように、跡形もなく消えていく。
やがてお目当ての一冊にいきついた。尊敬する詩人の古い詩集。ときに政治を斬り、ときに冗談もまじえながら、口調はいつも穏やかで上品だ。めくっていくと、書きこみを見つけた。ただしさっきまで消してきた薄い線ではなく、紙がへこむほどに押しつけられた文字。「リズム」と書かれている。リズム? 確かに韻を踏んで字数を調えた詩だけれど。
さらにページを繰る。詩のなかの「ナジャ」には「アンドレ・ブルトン」と、「ユンタク」には「おしゃべり」と書きそえられ、まるで国語の副読本のよう。まじめに読んだのはわかるものの、興ざめしてしまう。しかも筆圧が強くて、消しても消えない。鉛筆の黒い芯が奥まで刻みこまれている。あの控えめだった持ち主とは、明らかに別の人だ。
頼むから、静かにしてください。私はこの詩人とゆっくり話をしたいのに、あなたが割りこんでくるから聞こえません。いったいなんの権利があってこんな、と憤り、だってこの人の本だったのよと思いなおし、いや、いまはもうこの人の本ではないとまた憤る。いつか自分のものではなくなるのだから、あの世に持っていくことはできないのだから、買った本も図書館で借りた本のように大事に扱ってほしい。古本屋の勝手な願いだろうか。
あの優しい詩人は、熱心に読まれてうれしいと言うかもしれない。でも余白が他人の筆跡で埋めつくされているのを見たら、やっぱりいい気持ちはしないのでは。ぶつぶつ言いながら、消す。机の上は消しゴムのかすだらけになっている。

表紙のことば表紙の言葉

講談社の資料室を見せてもらった。作家ごとに引出に貯めこまれた袋が気になりだす。今はネットで少し時間を使えば大抵のことは集められる、気がする。画家の風間完さんが自分の集めた資料のことで「大出版社が多少なりとも大事にしてくれるのは僕よりもむしろ、あの膨大な資料の引出に対してなのだと思うべきだ」とちょっとおもしろく書いていて、そういうことができない私は切り取って引出を作るその意識に憧れた。
(表紙画 タムラフキコ)

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    縄跳びとベーゴマとピッチング 城之内邦雄「エースのジョー」秘録①
  • 社会性の起原33大澤真幸

    ヒトの赤ちゃんの奇妙な姿勢
  • 「聖書の言葉」を読む6佐藤 優

    真理はあなたたちを自由にする

「本」から生まれた書籍

最新号もくじ

[連載名]タイトル 著者名
[ほんの序の口]33 レンズ 宇田智子
〈特集〉 学術文庫創刊40周年 特別寄稿①     空回りの日々                  鷲田清一
特別寄稿②     弁証法をもって社会諸科学を総合化せよ      國分功一郎
データでみる、学術文庫40周年   
地域金融の先にあるもの  橋本卓典
語り合う情熱 葉室 麟
晩節汚すべし 桐野夏生
[スピンク日記]98 信仰か狂気か。 町田 康
丸山眞男と戦後日本の敗北         伊東祐吏
[鉄道ひとつばなし]248 変わる駅名、変わらない駅名 原 武史
戦禍に生きた俳優たち9 伝説の舞台から『無法松の一生』へ 堀川惠子
日本人を愛したニュートリノ6 宇宙線研究大国 緑 慎也
人工光合成への挑戦   井上晴夫     
拗ね者たらん――本田靖春 人と作品14 戦後を体現した大スターの物語 後藤正治
「母親神話」の国、日本9  お父さんはATM 竹信三恵子
情報がつくる歴史             玉木俊明   
電車の光景から遺伝子診断に思いを馳せる   石原 理
[新日本野球紀行]136 縄跳びとベーゴマとピッチング 城之内邦雄「エースのジョー」秘録① 二宮清純
[社会性の起原]33 ヒトの赤ちゃんの奇妙な姿勢 大澤真幸
「聖書の言葉」を読む6 真理はあなたたちを自由にする 佐藤 優
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